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虎穴に入るも、虎子は得ず。

青年海外協力隊

2008年6月から2010年6月まで、青年海外協力隊員としてアフリカのガーナ共和国で活動してきました。 職種は理数科教師。ガーナ北部の高等学校(ゼビラ高等技術学校 右の学校紹介ビデオ参照 ただしビデオは2012年に撮影されたものです。)で物理の授業を担当しました。

参加する前は、東京都内でコンピュータプログラマとして働いていましたが、学生時代に勉強していた物理学(専門は原子核理論)や、 かなりの時間を費やして取り組んでいた陸上競技(長距離)の経験を必ずしも活かせていないということに疑問を持つようになりました。 そんな時、通勤電車の中で「青年海外協力隊募集―僕たちの先生は、日本からやってきた―」というような募集広告を目にし、 「よし!アフリカに行こう!アフリカで物理や陸上を教えよう!」と思い立ち応募。 運よく合格し65日間の訓練を経てガーナへ派遣されました。

活動概要

任地ゼビラはガーナ北部の街。
任地ゼビラはガーナ北部の街。

配属先は、ガーナの北部、アッパーイースト州のゼビラ(Zebilla)という街にある高等学校です。 配属先からの主な要請内容は「学校が僻地にあるため、教員が不足している。特に理数科の教師不足は深刻。学校では物理または化学の授業を担当する。実験を取り入れた授業を実施する。学校改善策を提案する。」といったものでした。

実際の活動は、配属先と話し合った結果、まずは2年生の物理の授業を担当することになりました。 その数は週に14コマ(1コマ40分で、通常2コマ連続で授業、3コマ連続の場合もあり)。 教える内容は、ほぼ日本の高校生が勉強している物理と同じ内容ですが、応用や技術的側面にも触れている印象がありました。

週14コマという授業数は決して多い数ではありませんでしたが、はじめはかなり苦戦しました。 訓練を受けてきたとはいえ教師の経験もない自分が英語で授業をするのは思っていた以上に大変。 授業の準備にかなりたくさんの時間を費やしました。 ガーナ人生徒が話す英語は、語学のCDで聞くようなきれいな発音の英語ではないこともあり、はじめは彼らからの質問がなかなか聞きとれず焦ることもしばしばでした。 しかし、ガーナでは英語が公用語ではありますが、母語ではなく、ガーナ人生徒も勉強して英語を話すようになっているためか、こちらの気持ちもわかってもらえたようで、 徐々にお互いに歩み寄るような感じで会話が成立するようになりました。

生徒の学力はというと、計算力と図形把握の力がかなり低いと感じました。 「1 + 1/2 = 3/2」という計算を黒板に書くと「先生なんでですか?説明してください。」と言ってくる生徒が結構いたり、 「東西南北」の方向が頭の中でぐじゃぐじゃになっている生徒が少なからずいたり、直線のグラフの傾きの定義は知っていても、直線のグラフの傾きが一定であるということを大半の生徒が知らない状態だったりしました。 これは、高等教育以前に初等教育が崩壊していること、計算に計算機を使ってよいことになっていること、理数系の教科なのに現象をイメージしたり考えたりするよりも、定義を暗記することに重点がおかれた教育を受けていること、などが原因として考えられました。

実験の授業
実験の授業

これに対して、僕が2年間の活動を通して重点を置いたのは、理解を助けるために実験を授業に取り入れたことと、説明や問題を解く際に図を多用したことでした。 実験を授業に取り入れるということは、学校からの要請でもありました。 実験器具はあまりなかったので、多くを自作して行いました。 その関係で全員にやらせるということはなかなか難しかったのですが、できるだけ生徒にもやってもらうようにしました。 授業中の説明に図を用いることは、特別なことではなく日本では当たり前のことですが、ガーナ人教師の授業を見るとあまり図を描いている様子がありませんでした。 なので、生徒たちは、はじめのうちは、いちいち図を描くことに抵抗があったようですが、だんだんに図を描いて考えることの重要性とわかりやすさを認識したようで、活動後半には「図を描くことは重要だね。図を描くと問題が解けるよ。」 と言ってくれる生徒も現れました。

活動中盤には、物理に加えてICTの授業(コンピュータの授業)も一時期担当したり、2年生3年生の物理の授業を全部担当するようになったりし、授業数が最大で週28コマになった時もありました。 授業するのにもある程度慣れてきた頃だったので、できないコマ数ではありませんでしたが、かなりきつかったです。 ですが、忙しさに負けずに学校に一時あったプロジェクターを使って幾何光学の授業をするなど、いろいろチャレンジしていたので、今振り返ると、このころが一番充実していたように思います。

練習をするためにトラックを作っています。
練習をするためにトラックを作っています。

授業以外では、学校側から依頼されて、陸上競技の指導を同僚教師と一緒に行いました。 日本でいうところのインターハイの県予選のようなものがあり、それへ向けての約2週間ほどの期間でした。 自分が学生時代、陸上部だったこともあり、 身体能力の高いアフリカ人を指導できるなんてめったにないチャンス!と、かなりやる気をもって臨みました。 ですが、この日本的なやる気が空回りの原因となりました。 午後4時半からの練習には、同僚教師も生徒も時間通りに姿をあらわすことはなく、午後5時を過ぎてからちらほらと五月雨式に人がやってくる。 全然まとまって練習ができないのですよ。 それでも練習メニューを作ってできるだけ指導はしました。 大会の運営も、プログラムはあるものの、午前中にやる種目はこれこれ、午後はこれこれくらいの情報しかなく、 いったい次何の種目が何時から始まるのかさえ、よくわからないという状態。 僕は、生徒に的確な指示を出すこともできずイライラ。 でも、周りを見るとそんな状況下でイライラしているのは日本人の僕だけ。 他のガーナ人教師や生徒たちはそんな中でも競技や応援を楽しんでいるようでした。 この陸上の指導を通して、異文化(ガーナ人)の中で活動することの難しさ、無意識に日本式を彼らの時間の流れの中に持ち込もうとしてしまっていたことに気づかされました。

システムを使って印刷された成績表。
システムを使って印刷された成績表。

学校の事務仕事を同僚教師とやるうちに、同僚教師が「成績表をコンピュータで印刷できるシステムを作りたい!」ということを言い出しました。 同僚教師といろいろ話し合った結果、要望の一番重要な点は、生徒に配る成績表を一括印刷したいというものだったので、あまり大げさなものは避け、ExcelとVBAだけで作ることにしました。 アイディアはガーナ人教師に考えてもらい、作りは僕がやるという感じで作業を進めました。 同僚教師も自分も通常の授業をやりながらの作業だったため、完成したのが任期終了直前になってしまったことと、手書き用の生成表がまだ大量に学校に残っていたことなどの理由で、結局僕の学校でこのシステムが使われることはありませんでした。 しかし、同じような話が後輩隊員の配属先の高校でも出ており、このシステムをカスタマイズしたものが採用されました。 その隊員の高校で、実際に成績が処理されたのは、僕が任地を去る1週間前くらいのことでした。 同僚教師もそのことを知っており、自分たちがやったことが無駄にならなかったと喜びました。

その他詳しい活動内容や生活の様子について知りたい場合は、活動日記をご覧ください。